2020/03/29 人間の一日あたりにやれることの限界はそう遠くないって思ってる話
今回はめちゃくちゃ曖昧な話。
感情論と言うか感覚的な日記というかメモみたいなもの。
だいぶ前から人間の稼働上限というか、できることみたいなものに限界が来るんじゃないかと思っています。
なんというか把握できるものとか、まぁ曖昧なものなんですけど。
個々人で一日にできることっていうのにはある程度の振れ幅(体調だったりやる気だったり)はあっても、人間としてのスペック上の限界がどこかにあるだろうってのは想像がつくと思います。
人間がだせる100m走の最速タイムなんかと似たような感じ。
どれくらいの速度かは明確にはわからないけど、きっとどこかで限界があるとは思うんですよ。
そんな速度の限界のように、人間の一日にできることの上限もきっと存在する、というのが私の考えです。
で、そんな人類の限界というと仰々しいので一般人の頑張れる限界みたいなのは実はもうほぼ達しているんじゃないかと思うんですよ。
勉強や仕事だって高度なものに日々進化していくのにそれに従事する時間は減るどころか増えてるし、SNSや動画配信なんかのコンテンツも見たいと思うものは日々出てきます。
もっと細かい要因を上げればきりが無いんですけど、日々できることへの限界が存在している中で生活しているにも関わらず、「若いんだからもっと頑張れるでしょ」とか「その程度のこともできないのか」みたいなことを言っちゃうん世の中でホントやってられねーってなっちゃいがちな気がしています。
「お前はできることが周りみんなできるわけじゃない」っていうのもそうなんですけど、人の時間あたりにできることは決まっているにも関わらず、無責任な言葉で咎めるだけ咎めて、負担だけ増やそうとして、その負担を処理する時間の融通は与えないっていうのが鬱陶しく最近思います。
それが社会で生きていく上での責任、と言われてしまうとそれまでなのですが、それでもやっぱり限界はあるとは思うんですけどね。
若い子が車を買えない話じゃないですけど、税金やら何やらで出費が増えて賃金が上がらない状況を知らないから車を買えって言ってるように、こっちの身の丈事情を知らないから責任を背負うことを求めるだけ求めてるって感じはしています。
裏を返せばそう咎めてくる人たちの事情を私も知らないので、責任を果たすよう発言する背景というものが存在するのかもしれませんが。
でも、息は詰まる方向にゆっくりと進んでいるのではないかと思います。